プーケット在住の日本人の声をベースに、「食べる」「見る」「遊ぶ」ミミヨリ情報満載!
おいしいお店 アクティビティ エンターテイメント 離島情報 ショッピング マップ
プーケット・タイ

プーケット ウォーク
2008年6-7月号

Home
特集・今月のプーケット

エッセイ

ラッコのI Come to Win

藤田チャチャイ氏の普吉百景

今日もおいしいもの食べた

PHIPHI通信−ピピ島の今
BEST DINING
おいしいお店
ホテルガイド
バンコク ホテルガイド
ダイビング
SPA・マッサージ
スポーツ
エンターテイメント
離島情報
おみやげ
THE・情報
ショッピング
ヘルス・ビューティー
為替レート
交通情報
電話番号リスト
マップ
リンク
掲示板
Advertising rates
友達にこのサイトを薦める

 
プーケットミミヨリ情報満載!
ラッコの I come to Win
はたらくヒト日記

ラッコ
:プーケット在住歴6年。タイ社会に憤慨すること多いが、タイ菓子とセントラルデパートをこよなく愛する。2007年7月に帰国。
 

ほんとに最終回『やっぱりプーケット』

実はこの原稿、プーケットで書いている。六月初旬の帰国を一ヵ月延ばし、七月初旬に帰る予定を一週間延長した。猫のピッピの具合が悪く、帰ればもう二度と会えないと思うと後悔したくなかったのだ。また、プーケットウォークの姉妹サイトSpa-Heaven.comを立ち上げる予定もあり、その取材に時間はあるほどいい。いざとなると帰りがたく、あれもこれもと欲が出てくるものだ。

帰国三週間前にして、妹と四年ぶりにバンコクへ行った。我が家にはピッピのほかに母猫、犬一家三匹がいるので一泊が限度。ならばと国際ブランドのホテルを予約した。一応四つ星、今回限りの大盤振る舞いだ。短時間なので行き先もピンポイント。サイアムでショッピング、夜は居酒屋、次の日はチャトゥチャックとこれだけ。

スクンビットのホテルからBTSでサイアムへ。改札口を出たらサイアム・パラゴン、思いもかけず着いてしまった。屋根付きのスカイウォークは雨が降ってもマイペンライ、交差点の上をスイスイ歩ける。バンコクはプーケットから見たら別世界、まるで外国だ。通路でつながるショッピングセンターを歩き回り、夜はタニヤの居酒屋でウニや酎ハイに感激する。プーケットから移った
友人はスーツで出社しビジネスライクな人と思われているらしい。暑苦しい、いや熱い性格だったのにねぇ。

翌日のチャトゥチャックは今回で二度めだが、最初ツーリストだった私は暑さと臭いでノックダウンされた。今回はプーケットのレジデント、エアコンのある喫茶店もあるというのでかなり期待してたのだが…。全体の二〇%くらい廻ってポーレオ。品揃えがどこも同じで、値段もプーケットタウンとたいして変わらない。もういいやとココナッツジュースを飲みながらチットロムへ移動
し、ランチのためにZenのフードコートへ。モノトーンで統一された室内、ウエイターがいる。コジャレた器のバーミーナム一二〇バーツ也を食べながら考えた。

ちょっと行けば大型ショッピングセンターと、ちょっと行けばビーチ、どっちがいいだろう。革靴とサンダル、どっちが快適だろう。猥雑なビーチ通り、小高い丘と急な坂道、道端で眠る犬、シーフードをねだる猫、突き刺すような太陽光、空と雲のコントラスト、白い砂のビーチ、潮騒と風…、私の中でプーケットの椰子の木が揺れた。


最終回:『I have won !?』

「どんな時に幸せを感じる?」。プーケットに来て間も ない頃、通勤途中のWの車で聞かれ「風を感じる時」と 答えた。Wは合点がいかないようだったが、ハッピーな 思い出は青空の下で心地よい風に吹かれている中にある。 ロータス近く、風にそよぐ椰子の木を見ながら、この風 景に別れを告げる時私は何を感じるんだろうと思ったこ とを覚えている。

それが現実となった今、思い出される のは大笑いしているみんなの顔。さして人付き合いのよ くない私が随分いろんな人たちと大笑いしてきたと思う。 年に一度のスタッフパーティー。昼間のチームビルデ ィングのゲーム、無邪気に本気で競い合った。グループ に分かれてのエンタテインメント、最初の年は当日一時 間で準備したが、クオリティを求め次の年は10日前か ら準備と練習。が当日みんなヘトヘトになり、次の年か らは却下。仮装してのディナー、プールサイドでの飲み 会。話したり、歌ったり、プッシュアップコンテストや テキーラの一気飲みしてプールに飛び込んだり。プール から見た満点の星、その時も心地いい風が吹いていた。

日韓共催のW杯。社内ロッタリーを作り、準決勝からテレビをオフィスに置き、仕事そこのけで観戦した。キンジェの時はプーケットタウンでベジタリアンフードを食べるのが恒例。同僚とランチにいったり、妹や友だちと週末に出かけたり。キンジェが終わるとやってくる乾季、季節の変わり目を感じるのも嬉しかった。

津波も貴重な体験を残してくれた。いつもはコンペティターな人たちが集まって一緒にWEBサイトを立ち上げた。掲示板への書き込みやイベントへの協力等、本当にたくさんの色々な人たちの温かさを知ることができた。サムイやピピ、パンガー、クラビへ行ったり、海亀を求めてマイカオへ通ったり、WWE観戦にプラカードを持ってバンコクへ乗り込んだり。書き切れないことは沢山ある。

あっという間の六年だったけど、思い返してみると、みんなの大笑いしている顔が浮かんでくる。
「I Come to Win」、私はいわゆる勝ち組ではないしあったこともない。でも、これだけ自由に存分に楽しんできたことは何物にも替えがたい大切な宝物だし誇りでもある。ありきたりな結びだけど、ありがとうプーケット。サンキューみんな。この六年間を私は決して忘れない。  


33話:名古屋発ゴルフラバーツアー

クライアントサービスの仕事は、メールに始まりメールに終わる。問題のある時は別として、大方はクライアントがプーケットに到着された時点でホテルやツアーオペレーターにバトンタッチし、私たちの仕事は終わる。彼らのプーケットの思い出に私たちが介在することはまずない。それでも嬉しい例外はある。私は一年前にクライアントサービスを外れたが今も大切なXIPがいる。

〇四年の四月以来、毎年ゴルフ三昧ツアーでいらっしゃるT橋さん、S水さん、М野さん、S下さん一行だ。最初は、S水さんの病欠でT橋さんとМ野さんの二人だったのが、毎回メンバーが増え、今回はOさんとМさんも加わり六人のグループツアーとなった。夜遅くに到着し、翌早朝からプレー開始、帰りの飛行機に搭乗する数時間前までとにかくパワフルにゴルフ、ゴルフ、ゴルフ。その合間に、私たち姉妹を毎回食事に誘ってくださるのだ。

一度目の時はあまりホイホイ軽々しいのもどうかと思い、仕事に追われていたこともありお断りした。が、二度目からは、メールから伺われる人柄と社交辞令じゃないと確信し、妹と二人で遠慮なくご馳走になった。 皆さん、同じ大手電機メーカーの出身で、ATМ開発のエンジニアやネゴシエーターをされていた、まさに“プロジェクトX”な人たちだ。

実際にご対面となるとそれまで文字だけだった名前に笑顔が加わる。T橋さんはいつも毅然としていて、仕事上でも頼りになるリーダーだったに違いない。S水さんは愛嬌のある気さくな人で、
上司からも部下からも慕われていただろう。М野さんはネゴシエーターだったというが誠実さと柔らかな人柄が武器だったのではないだろか。S下さんは最年少のエリートサラリーマン然とした風貌だが、「もう一花咲かせたい」と照れ笑いするそのギャップに驚かされる。

皆さん心遣いが細やかで、いつも気のきいたお土産を持ってきてくれる。逸品の麦茶や名古屋の銘菓、瀬戸焼のお雛様と雛あられには、日本を離れている私たちにとって、子どもの頃に感じたのと同じ華やいだ気持ちになった。ゴルフのガイド本もあったな。自分の至らなさを棚に上げてはいけないが(実際一つポカをやらかしてしまった(汗))お客様というよりも、経験豊富な先輩方にこれからもまた元気にお会いしたいと、そう思うのだ


32話:サワディーピーマイ2007

ダイバーの憧れ、国立公園にも指定されているシミランへスピードボートツアーで行った。その日はまさに快晴。タプラムを出港し、やがてまわりすべてが海になる。海のないところで育った私は、それだけですごい開放感だ。水恐怖症なのでシュノーケリングもボートから五メートルと離れられないが、さすがに違いはわかる。魚の種類も多いし、みんなデカイ。サンゴも青く輝いている。ビーチの砂はキメが細かく真っ白で柔らかい。大きな丸石がゴロゴロしているのはシミランならでは。その灰色が、空と海の青と濃い緑のコントラストを引き立たせる。トビウオが一匹勢いよく飛び跳ねるのを見た。

気持ちよく新年を迎えられる、そう思ったその日の夕方、バンコクで爆破事件が起こった。ここ数年年末が近づくと、今年はもう何も起こらないだろう、でも最後まで気は抜けないぞと緊張する。それがあと数時間で終わろうという時の卑劣な事件だ。怒。それ以外の字を思いつかない。

年が明けると“同僚”Hが日本から遊びに来た。彼も、お祖母様の病気で、出発の前日まで来られるかどうかわからなかった。来たからには気を取り直し、まずは会社近くのブンの店でいつものバイカップラオでランチ、夜には同僚たちとクークーにあるレストランでご飯を食べた。みんな心から歓待しているのがわかる。クラビオフィスへ出張中のGに会うというので、一緒に出かけた。道路を縁取るマングローブやヤシの緑が続き、あちこちに石灰岩のゴツゴツした岩山が見えてくる。空はやっぱり青。変わったのは整備されつつある道路と、家のピックアップにiポッドがつき、こすり傷が増えた事くらい。一年のブランクなんて何も感じない。アオナンビーチ沿いのイタリアンレストランへ行き、Gと三人でランチを取った。静かに吹き抜ける潮風、遠くに浮かぶクラビの島々を見ながらのスパゲティは格別に美味かった!

入院していた母は思ったより早く回復し、全快とはいかないけれど私はプーケットへ戻ることができた。が、Hが帰ったその日、私を可愛がってくれた伯父が亡くなった。何が起こるかわからない。テレビのニュースを見ていても、一視聴者に過ぎなかった人が簡単に報道の的に変わる。その時できることを存分に楽しもう。「今年中にまた来る!」力強くそういってHは帰っていった。



31話:Noキリギリス

  キンジェと呼ばれるベジタリアン・フェスティバルが終わり、日本の精霊流しに似たロイクラトーンが過ぎると、プーケットは待ちに待った乾季を迎える。一年の中で移り行く季節を感じるられる、私の一番好きな時だ。が、今年はキンジェ半ばにして日本へ帰らねばならなくなった。母の急病。高齢の両親二人を残してプーケットへきている私たち姉妹の生活は、両親の健康の上に成り立っていた。こんな日もくると覚悟していたが、いざとなるとやはりショックだ。知らせはキンジェ料理を食べに行く途中の車の中、父からの電話だった。とりあえず食事をしたが、味が全くわからなかったのは、味付けの不味さだけではないだろう。

 帰ってすぐに飛行機の手配。閉店一〇分前なのに、地元エージェントのMちゃんが頑張ってくれた。こんな時に日本語で頼めるって、すごく心強い。かなり混んでいて、バンコクまでタイ航空のビジネス、バンコクからはシンガポール航空のエコノミーになった。知らせを受けてから一日たたずしての出発だ。いつもは指折り楽しみにしている帰国だけど、今回は飛行機に乗ることさえピンとこない。三日後に迫った仕事の締め切りだけを気にする毎日だったから、頭の切り替えができないのだ。今、母はまだ入院中だけど、とりあえず怖そうな病気の可能性はなくなった。主治医の先生は検査の数値がよくなったら退院といってくれたが、かといって私がすぐプーケットへ戻れるというわけではない。今まで自分のことだけを考えて行動してきたけれど、そういう時期はもう終わったのだろう。とりあえず一年、とやってきたプーケットももう六年になろうとしている。プーケットにいると一週間単位で時がどんどん過ぎていくが、今、時間はとたんにゆっくりになった。これからの自分…。これまでも何度も岐路に立ってきたけれど、そのたびに思ったのは「自分は何をしたいのか」ということだった。でも今回はそれに制限が加わる…。制限。なんて嫌な言葉だ。今まで一番先に排除していた言葉だ。これからが勝負じゃないの。単なるキリギリスじゃカッコ悪すぎる。ここでもう一踏ん張りしてこそ、今までの自分にOKを出せるってもんだ。一ヵ月後どこにいるのかもわからな
いけれど、新しい状況に挑戦する自分でいるのだ。


30話:バーン・タマチャート(自然の家)へようこそ

 隣のアパートの大家さんから犬がうるさいと苦情を言われた。家には三匹の親子犬がいるが、娘犬は下半身不随のため、親犬が見えなくなると大声で吠える。早朝からそうなので文句を言われても仕方がない。会うたびに「始末しろ」という目で見られ、安楽死も考えたがいざとなるとできず、結局引っ越しを選んだ。

 パトンは建築ラッシュだが、犬三匹を受け入れてくれる家は見つからない。カトゥーに住む同僚がすぐ近くの一軒家を教えてくれた。メインロードから山に向かってバイクで五分くらい、緑豊かで静かな住宅街というより、小さな集落だ。たった一軒ある商店で買えそうなのは一本五バーツの水くらい。ローカル真っ只中である。家はよくあるうなぎの寝床のような縦長の造り。玄関前は車庫になっていて、雨が降っても犬が嫌がって吠えることはないだろう。家の西側は壁に沿って三m程の幅のスペースがあり、車も停められる。前の住人はここにサラ(東屋)を置いていたらしい。右隣りとはそこから五m位離れているし、左隣りは空き地になっていて犬三匹も問題ないといわれた。

 引越前に二度ほど来て見たが、いつも雨季とは思えぬ晴天で、吹く風も爽やか、ビーチこそないけどカトゥーも悪くないと思えた。そして引越して一週間、ジメっとした雨季の夜があることを思い出した・・・。

 私は何が嫌いって、足が全くないか一〇本以上あるものが大の苦手である。毛虫、芋虫、ヒル、百足、蛇と書くだけで鳥肌が立つ。それがいる。毛虫と芋虫は庭の木に、ヒルは廊下の壁、百足はトイレ、蛇はキッチンの外の茂みに・・・。特に百足が許せない!動きが速いのだ。サブいぼで固まっている私を嗤うかのようにゾロゾロゾロッと動き回る。二度目に浴室に出た時は深夜なのに悲鳴を止められなかった。「ムカデ撃退」とインターネットで調べてみても、市販のものを使うのが一番なんてつれない。プーケットには売ってない。蚊取り線香を焚き続け、アブナイ穴(天井や床に不審な穴がある)にガムテープを張りまくり、会社でアリよけに樟脳を使っているのを見て早速買い求め、扇風機を四六時中回し続け・・・我家がパニックハウスでなくバーン・タマチャートでいられるよう祈るばかりだ。


29話:W杯観戦事情

 実は今回、コレ、日本で書いてます。年に一度の休暇をとって帰国、仕事もプーケットもすっかり忘れて、ノンビリダラダラテレビ見ながらウマ〜いケーキをほおばっていたら、編集長からのスカイプ・コンタクト。「帰ってくるまでに原稿を書け」だと。注文だけはいつもキビシイんだよなぁ・・・。

 さて、今現在はサッカーW杯ドイツ大会の真っ最中。日本は初戦のオーストラリアに逆転負け、クロアチアと引き分けて、残るブラジル戦の勝利を信じて祈るばかりという緊張の真っ只中であります。

 あるテレビガイド誌が、タイでW杯を見るのがグーと紹介していたとか。実際タイは熱烈なサッカーファンが多く、地上波では限られた試合しか見られない日本よりずっと多くの試合を見ることができる。それにプーケットには色々な国の人が住んでいるので、世界をずっと近くに感じられるのも確か。編集長は日本の初戦をオージーが経営するスポーツバーで観戦したとか。逆転されるまで少人数ながら意気揚々と笑っていたのに、残り一〇分の反撃をくらうや、バーの雰囲気も一転、ずっと鐘が鳴り響いていたらしい。バーで鐘が鳴らされるのは、そこに居合わせた人全員に一杯おごるよという合図。意地でも飲めんわな、そんな酒。

 もちろんパブリックビューだってある。パトンのホリデーイン向かいにあるオートップに大型スクリーンがあ
り、ビールを飲みながら観戦できるようになっている。W杯期間中プーケットへ社員旅行するという方から「試合を見ることはできますか?」という問い合わせがありましたが、全然マイペンライです。サムライブルーを着てガンガン応援しましょう!

 で、日本にいる私は青山にあるナカタ・ネット・カフェに行ってみた。ウィークデーの四時頃だったけど、テ
ーブル席はすでにいっぱい。合い席をしたのは今朝長崎から着いたという女性。なんか同志って感じですぐに打ち解けた。スクリーンではブラジル対オーストラリア戦、結果がわかっていても興奮! 二人してつい大きな声で俄か評論家になっちゃうもんだから、若いカップルの失笑をかったりしてね。こんなのもW杯ならでは。日本の勝利を誓って別れたのでありました。

 
トップページへ戻る


28話:カイ島へ行ってきた

 「小さい孤島のカイ島に絶対行きたいんです!」、このハイシーズンに熱のこもったリクエストをいただいた。ほんとに小さなひょっこりひょうたん島、妹はカイ島をそう表現した。今年の二月でプーケット在住六年に突入した私だが、まだ行ってないところって結構あるものだ。五月はタイも休日が多いので、取材がてら出かけることになった。スピードボートで一五分、船酔いの薬もいらない距離。三年ぶりに水着を新調し、八年前に買ったシュノーケリングセットを持って準備完了。ピックアップは朝八時。この日ばかりはツーリスト気分で出発!

 港は思った以上ににぎわっていて、二隻のボートに分乗して出航した。誇大広告でもなんでもなく、本当に一五分でカイノック島へ到着。本来カイ島は幾つかの島の総称だが、通常カイ島といえばカイノック島を指す。そこから三〇秒のカイヌイ島でのシュノーケリングはオプショナルとなる。「ヌイ」というのは「スモーラー」のことだと若くてハンサムなスタッフが教えてくれた。実は水恐怖症の私だが、取材がてらなのでシュノーケリングセットをつけてドバンと飛び込んだ。

「ギョギョッ!」。魚も多いがそれより何より驚いたのは、枝珊瑚がもうビッシリ海底を埋め尽くしているっ
てこと。書くなといわれたが、真実を明かしてこそ情報というもの、「気持ち悪かった〜」が率直な感想です。白砂と黒々とした岩、そこに美しく輝く赤や青の珊瑚、それを期待していた私は自然の驚異にガツンとやられましたね。ニモをみせてあげるとハンサムスタッフが手を引いてくれたけど、思わず手を振りほどいてしまった。

 二〇分のシュノーケリングの後、カイノック島でランチ&フリータイム。お弁当が手渡され、飲み物や果物が配られる。ハンサムスタッフたちがスイカやパイナップルを持って回ってきてくれる。魚用のバナナも用意されていて、水中に入れると黄色と黒のオヤビッチャがザザッと近寄ってきて、あっという間に食べつくした。バナナが魚の好物とは知らなかったな。スイカで試したら、食いしん坊な数匹がお義理程度につついただけだった。

 海は静かだし魚や珊瑚もとにかくいっぱい!なんといってもプーケットから近い!小さな子どもも安心して楽しめる島、人気の秘密を改めて実感しました!

 
トップページへ戻る


27話:パンパリング・マイセルフ(自分にご褒美)

 今年のピークシーズンはよく働いた。日本人スタッフ一人で迎えたピークシーズンはプーケットに来た年以来だ。何とか乗り切れたのも、日本に帰ったHがインターネットを通して仕事を続けてくれたのと、同僚のタイ人スタッフ達、特にNが辛抱強くフォローしてくれたおかげだ。この場を借りてお礼を言おう。本当にコープクンカー。現在は強力なスタッフを得て三人に戻り、正常に戻りつつある。が、ホッとした瞬間に風邪をひいた。キーボードのたたきすぎによる腱鞘炎再発、家で物干しに足を引っ掛け、タイルの床に転倒打撲。さらには愛猫の足を踏んづけて思い切り噛みつかれ、狂犬病の心配はないと思うけど、なんだかボロボロヨレヨレな私なのだ。

 三月の初めの土曜日の午後、午後一時に会社を出られたので、セントラルでゆっくりランチをとっているうちに、自分にご褒美をあげようと思いたった。今の私にはスパが一番! 三階にあるプリビリッジスパを覗いてみた。フットケア&リフレクソロジー一時間で六〇〇バーツ。町のフットマッサージ屋の二倍、三倍の料金だ。でもご褒美だからケチってはいけない。高いからご褒美ともいえる。大きなガラス扉を押し開けた。

 静かに流れるアンビエントミュージック、全身を優しく包み込むアロマの香り。セラピストは低く静かな声できれいな英語を話す。映画に出てくるようなエキゾティクな雰囲気。足洗い場に案内されると、ターメリックのスクラブで、蚊にさされた私の足を丁寧に洗ってくれた。施術用の椅子はレイジーボーイ。リクライニングする高品質のレザー製で体にフィットする感じが快適だ。エアコンの風をよけ、冷やさないようにタオルをかけてくれる。マッサージ用オイルのスゥーとする匂い、一〇分もしないうちに私は夢の世界・・・というより意識なし、完璧に脳が眠った状態。途中で「ガッ」とイビキ混じりに鼻を鳴らしていたに違いない。まさにパンパリング・マイセルフ。このまま居眠りできたらどんなにシアワセか。「マダ〜ム、フィニッシュ」と起こされて、タイシルクのソファで一番茶とグリーンビーンズのお汁粉がサーブされた。女と見れば「マダム」と呼ばれるのに違和感を覚える私だが、この日ばかりは心からマダムを受け入れ、なりきった私でありました。

トップページへ戻る


26話:サバイディーマイ?

 この雪はいつまで降るつもりなんでしょう。日本へ帰った裏切り者が北陸で雪に埋もれております。どうやらマジですごい雪のようで、暑いプーケットが恋しいと、いまさらぬかしてやがるのです。

 日本へ帰ってまだ二ヵ月だというのに、プーケットはすっかり思い出になってしまいました。交差点に群がるバイクはいません。週に二度食べてたバイカップラオもカオパットもない、サムコンのナムトーフー(豆乳)がムショウに懐かしいです。あそこのおばさんはいつの間にかオレの名前を覚えてた。

 天気のいい日曜日の午後、パトンからカロンへ通じる山道、濃い緑の丘にブーゲンビリアの赤紫の花がなびいてる。海がよく見えるセントラルカロンの近く、バイクに乗って涼しい風を感じてるオレ。遠く高みから見るアンダマン海はきれいなライトブルーに見えるんです。海の奥底まで引きこまれそうなダークブルーの日本海とは違う、開放感のある青です。ブラっとよく出かけました。目的も理由もありません。ただ、自分は今、プーケットにいるんだってことを確認できた。いつかここを去ることになっても、この山道から見る海を思い出せば、自分は確かにそこにいたんだと実感できる、それを心に刻み込むために行ってたのかもしれません。

 カロンの海沿いの道、スピードにはこだわらない。景色を五感で感じるんです。潮の香り、耳を優しくなでる風の音、その心地よさ、ビーチパラソル、その下で日焼けを楽しむ人達、サラでくつろぐタイ人、見えてくる一つ一つの風景を楽しみたいって思うんです。カタセンターを右折しピーチヒルを越えた辺りからビーチが間近に見えてきます。クラブメッドを抜けてカタビーチリゾートの前にバイクを停めて、メットを脱いだ瞬間の汗をかいた髪の毛の鬱陶しさ。ビーチに下りると感じるジリジリした暑さ。景色を眺めながらたわいもないことを考えるんです。仕事のこと、アイツと来たらもっと楽しいかなとか、今夜どこに飲みに行こうとか。じゃれあう犬達、黄色い嘴の鳥が近寄ってきて・・。いつまでも変わらぬままでいてほしい・・。今にしては、訪れる度に新鮮さを感じるのではなく、また同じ姿で迎えてほしい。コタツのゆるい暖かさの中でそう思っています。(同僚H談)

トップページへ戻る


25話:ポップ カン マイ(また会おう)!

 同僚Hがプーケットを去った。一人息子だからいつかこんな日がくると覚悟していたが、さすがに寂しい。二年前、SARDSからもち治した八月の超忙しい時期に彼は入社した。会社は成長期にあって常に自転車操業なのだが、そこに夏休みの忙しさが加わって一人でアップアップしていた時、彼はまさに象に乗ってやってきた王子様だった。クライアントサービスから始まりWEBデザイナーとして五つのポータルサイトを立ち上げるまで、彼抜きではできなかった。忙しいとすぐにパニクる私だが、淡々と仕事を続ける彼に学ぶことも多かった。その彼がいなくなって、腕を一本もがれたような痛みがある。

 リゾート地で一緒に仕事ができたことは思いのほか楽しかった。日本人が少ない環境というのもあるが、観光業のインスペクションは自分が楽しむことも必要だ。それに彼は付き合いがいい! 星空のシーカヌー、津波後初のピピ島ツアー、ツインパームスのお茶とケーキは東京の茶店にも負けない。ホットスプリングやコーラル島でのスタッフパーティー、ラノーンへのビザトリップ、キンジェ最終日の爆竹パレード。海亀を追ってマイカオビーチ、一二〇〇段を越す階段のタイガーケイブがあるのはクラビ、パンガーからスラターニへ伸びる高速をピックアップで突っ走り、妹と三人でサムイ・ミュージックフェスティバルにも行った。津波後、プーケット復興委員会に参加し、それが彼のWEBデザイン第一号となった。それが上司にも認められ五つのポータルサイトを誕生させた。私が思っていた以上の働きをしてくれた。プーケットでの経験がこれからの彼の人生に少しでも役立ってくれればいい。

 外国で暮らすということは別れが多いということでもある。何らかの理由でいつかは帰っていく人が多い。大企業の多いバンコクとは違って、プーケットはほとんどが地元企業や個人経営で働く人たちだ。やむを得ず急に帰らなくてはならない人も少なくない。私の在プーケットも両親の健康の上に成立っている。いつか去らなければならない日も来るだろう。

 「今を生きる」そんな言葉が心にしみる。ドラえもんのどこでもドアがあったらいいのに。いつも本気でそう
思うのだ。

トップページへ戻る


24話:日本人祭り

 あの日から半年。パトンビーチには津波警報装置が設置され、数回のテストにも成功した。土産物店は営業を再開し、泥棒市的な露天商はいつの間にか姿を消した。大方のホテルが通常どおり営業し、再開を待つホテルは数軒となった。しかし、街は静まり返っている。雨季に入り、ゴールデンウィークと夏休みの間の六月は一年で最も日本人観光客の少ない時期だが、それにしてもなんと人の少ないことか。

 六月二五日、「イープン・ラック・タイ(日本はタイが好き)」と題された第二回日本人祭りが行われた。プーケット日本人会の主催で、理事を中心に数ヶ月前から準備が進められていた。当日一体どれくらいの人たちが集まるのか心配されたが、開場の三〇分前には続々と人が集まってきて、単なる懸念だったことが証明された。地元の新聞やラジオなどのメディアはもとより、学校や職場にチラシを配るなどの細かな宣伝も功を奏したのだろう。私の同僚たちもたくさん来て、お寿司を食べたり、浴衣を着て富士山と桜の背景の前で写真を撮ったりして、ずいぶん楽しんでいた。焼きそば、おにぎり、りんご飴、金魚すくい、風船釣り。盆踊り用の櫓が組まれ、大型スクリーンには日本を紹介するビデオが流れている。スタッフが着ているハッピも手伝って、お祭り気分は否が応にも盛り上がった。招待されたカオラックの子ども達一五〇人も元気な笑顔を見せていた。日本から神津島太鼓と津軽三味線の演奏家が駆けつけてくれた。津軽三味線をバックに歌う民謡歌手は合いの手を会場に任せることで、タイの人たちの気持ちをグッと引き付けたようだ。「ラッセラッセラッセラー」の声が会場中に響き渡る。日本語補習校の生徒たちは元気にロックソーラン節を披露した。ラッキードローの賞品も素晴らしく、バンコク〜日本の往復航空券をあてた女の子は何が起こったのかわからなかったようだが、お母さんと一緒に拍手喝采を浴びていた。日本から来てくれた学生ボランティア君たちもにこやかによく働いてくれていた。

 人が集まることは活気づくということだ。一つ一つ事を起こし実現させることが、プーケットの真の復興につながっていくのだろう。あの日以来大分疲れてきたけれど、もうひと分張りと自分に喝を入れた。


23話:プーケト復興ドットコム

 何かやらなきゃ。それが頭から離れなかった。二〇〇四年一二月二六日、スマトラ沖地震による大津波がプーケットを襲った。幸い私は一次災害を免れたが、その日からのんびりした南国の島は一変した。

 多くの同僚たちがボランティアに参加していた。せめてビーチの清掃をと思ったが、すでに人手は足りていた。そんな中、英語、独語、仏語のWEBサイトが次々と立ち上がり、支援を呼びかけていた。

 www.phuket-photos.comというサイトがある。いまやパトンの有名カメラマンになった上司のウィリーが、当日から更新し続けたサイトだ。費やされた労力と時間を思うとただただ頭が下がるが、それ以上に感動したのは彼の写真の説得力だ。カメラを見つめる誰もが生き生きと笑いかけている。それを見た世界中の人たちから彼のもとへメールが届いた。善意に満ちた励ましのメールだった。そのほとんどが「プーケットに行きます」と締めくくられていた。

 彼には遠く及ばないが、情報を発信することはできる。プーケットの今を知らせ、一人でも多くの人に来てもらおう! 同じ気持ちの人は多く、Y氏に相談すると話はすぐにまとまった。TさんやIさんもすでに動き始めていた。日本人会会長M氏の所におしかけ、プーケット復興ドットコムは立ち上がった。

 プーケットに住む日本人のほとんどが何らかの形で観光に携わっている。それだけに競合していることが多い。復興ドットコムはビジネスを超えて、それぞれが得意分野で参加した。人がまとまるのは大変なことだが、うまく進んだ時のパワーは絶大だ。一週間でアップロードできたのはその表れだろう。そこにいろいろな人からの支援が届き始めた。中田英寿選手が動いてくれた。日本旅行業協会が支援と協力をしてくれる。励ましのメールが届く、掲示板の書き込みが増える。ブログで情報を発信してくれる。ここに書ききれない多くの方たちがプーケットを応援してくれている。ただ、日本からいらっしゃった人たちと話すたびに、誤った情報、偏った報道がなされていることに唖然とする。風評被害による二次災害、今私たちが闘わなければならないのは、悲しいかなそんな人的なものなのだ。

トップページへ戻る


22話:海亀の島 Part2

 「タオ、マーレオマイ?」12月の日曜日の午後、産卵に帰ってくる海亀を一目見ようとマイカオビーチへ出かけた。海亀が夜に産卵するのは知っていたが、昼間のビーチにいる海亀をディスカバリーチャンネルで見た。今日はいる! 会いたい人には会ってきた私だ(ナマで見たというべきか)。ジャッキー・チェン、ブラッド・ピット、ジェームズ・スペーダー、柏原崇、椎名誠に中田英、まだなのはデカプリオと豊悦、それに海亀だけなのだ。

 亀のカの字もない焼けつくビーチをカメラバッグと三脚を持って同僚Hとダラダラ歩いていたら、木陰にピクニック風の人たちをみつけた。やはり三脚を立てているのが見える。あの人たちも亀待ちか!? と、「こっちへ来い」「ご飯を食べろ」と声をかけられた。後で妹にきいたところ、タイ人の「キンカオ」は社交辞令だという。素直な私はムール貝と魚とソムオをご馳走になった。今まで見たこともないようなプルンと大きな貝と甘く熟したソムオだった。

 で、冒頭の「亀は来ましたか?」という問いになるのだが、声をかけてくれた恰幅のいい海パンイッチョの60代紳士によれば、海亀は毎年11月から1月の間、月も出ないような暗い夜、きっかり同じ場所、同じ時間に戻ってくるのだという。三脚が見えたから、亀の撮影に来ているのかと思ったといったら、「年寄りの亀ならいっぱいいるわよ」とハツラツ中年女性が男性群を指して笑った。

 家族か長年の友人達と思ったのだが、実はマッサージ師とそれを受ける人たちだった。普段プーケットタウンにいるそのマッサージ師は、休みになるとビーチにきて無料で施術しているという。マッサージ、砂風呂に1、2時間、その後海で涼んでまたマッサージと繰り返し、自然治癒力を高めるのだという。病後の治療の人もいたが、あとは年の割にツヤツヤ張りのある人たちだ。「人生は、食べて、飲んで、友達がいればそれでOK!」と海パンイッチョ紳士が言った。見上げれば真っ青な空にマシュマロのような雲が浮かんでいる。海は太陽と溶け合ってキラキラ光り、木陰を潮風が吹きぬけていく。涼しそうな友の横顔、私は身体が軽くなったみたいに感じた。マジでみんな海亀だったのかもしれない。

トップページへ戻る


21話:買い物地獄 Part2

 その日私は感涙にむせびながらとんこつ坦坦麺を食べていた。二〇〇四年九月一日ついにセントラル・フェスティバルがオープンしたのだ。八月オープンと書かれた看板がいつの間にか書き変えられ、数週間前までコンクリートの壁がむき出しになっていたセントラルだ、見るまでは信用できない。ロータス前からバイクで三分もあれば着く距離だが、その日道路は大渋滞。同僚Hのバイクは車の間を縫うように走り抜けなんとか到着した。

 セントラルはオープンしていた。ガラス張りのエントランスが眩しい。天井が高く広々とした店内、今までのショッピングセンターにない期待感がわく。エスカレーターを上がる。映画館がある。シズラーもある。原宿店のランチビュッフェは私のお気に入りだった。MKの対面が8番ラーメンだ。とんこつ坦坦麺六〇バーツ、普段のランチよりちょっと高いが許せる。Hとともに豪快にラーメンをすすり上げる。味噌ラーメンやタン麺はプーケットにもあった、満足だった。でも、ないがゆえにむしょうに恋しくなるとんこつスープ、待ちに待った8番ラーメンなのだ(涙)。

 周りを見れば洗練されたディスプレイの専門店がたち並ぶ。「わぁ〜すご〜い!」まるで小学生並みの自分の反応が微笑ましい。いや、私だってこんなの初めて見るわけではない。もっと立派なショッピングセンターだっていくつも知っている。でもここはプーケット。ブランド物はコピー、どこへ行っても同じ品揃え、許せないデザインの数々に我慢をしいられてきたプーケットなのだ。

 広くて明るい化粧品コーナー、スポーツグッズは新製品も品揃えも豊富、バッグや靴はウインドショッピング好きの私を満足させてくれる。豊かな生活を思わせる食器、高品質のリネン製品、何でも作れそうだDIY、コーヒーショップがところどころに点在し、日本のバンドのCDだって売っている。気に入ったジーンズが見つかった。だがしかし・・・。四五〇〇バーツって、私と妹と猫二匹、犬三匹の半月の食費である。オープン時の二〇%オフにしても追いつかない。ふと周りを見れば、人は多いが買い物袋を下げた人は本当にまばらだ。欲しい物があっても手が出ない。私の新しい買い物地獄が始まったか、ここは地獄の一丁目・・・。


トップページへ戻る


20話:買い物地獄

タイに来て三年半がたったが、「とりあえず一年」がなんとなくここまできちゃったので、外国に住むという気構えが希薄である。それだけについ日本と比べてしまい、頭にくることも多い。

 先日大枚一八〇〇バーツをはたいて羽根枕を買った。慢性肩こり症なので良質な寝具は欠かせない。ダウン五〇%、フェザー五〇%、これが一番上等なやつだった。おかげでその月のお小遣いが大幅に減ったが快眠できるのなら仕方がない。ところが、である。この羽根枕、使ってわかったのだが、鳥臭い! 日本で鳥臭い羽根枕なんてあるか? ちゃんと加工するでしょう、匂わないように。なのにこのシロモノは、養鶏場で寝てるんじゃないってくらい、日差しにさらそうが風を通そうが頑として変わらず、鶏に追いかけられる悪夢にうなされ、枕カバーにバスタオルを巻いて枕元にポプリを置いてもまだ足りない。このポプリもまたかなり甘ったるい匂いで、私のベッドルームは湿気と相まって、アロマテラピーとは程遠く、猫さえ寄り付かなくなった。

 枕だけじゃない。タイマーの付いてないビデオデッキとか、近くまでいかないと留守電になってるかどうかわかんないFAX電話とか。普通留守電にすると赤いランプが付いたりして離れたところからでもわかるでしょう。なのに小さなスクリーンの矢印がどこをさしているかだけが頼り。当然セットするのも忘れがちだ。メッセージの有無もしかり。スクリーンにメッセージの文字が点滅していたら「有り」だ。雨の日はコネクションが遅くなるADSL、やっと値段が下がり始めたカメラ付き携帯電話、すぐワカメになるカセットテープ(日本ではもう使ってない?)、毛糸やシルク洗いの洗剤がどこにもない、洗濯用ブリーチはあってもキッチン用がない。小さなことと笑うなかれ、いちいち癇に障るのだ。

 六月に日本に帰ったとき、スゴロク知ってる? と聞かれた。いまどき風流な遊びをと思ったら、大容量のハードディスク搭載のDVDだった。キーワードを検出して裏番組を録画するなんて、プーケットでは夢のまた夢。パーっと買い物したくても、欲しいものがない。オープンが待たれるセントラルデパートだが、期待しないで待っていよう。

トップページへ戻る


19話:海亀の島

  ずっと海亀に憧れていた。大海原を悠々と泳ぐ海亀は自然界を自由に雄々しく生きる象徴そのものだ。

 ソンクランの初日にマイカオビーチで子亀の放流をするという。つい水掛に夢中になってその機会を逃してきたが、今年は海亀!と心に決めていた。マリオットがそのイベントに参加しているので問い合わせてみると、電話に出たスタッフもあまり詳しくないらしい。彼の話を聞いていると、池に亀を流す仏教儀式じゃないかと思われたが、とにかくマイカオビーチへ行くしかない! 何度も同じ道を行ったり来たりしながら、ようやく目的地に到着した。

 思った以上にローカルなイベントで、ビーチにテントを張り、その下に一〇数枚の写真展示と直径二メートルほどのタライが二つ、その中に放流される小亀が入っている。英語で説明をする人が一人だけいたが、展示物はすべてタイ語だし、連絡先はたまたま持っていた人の個人の携帯電話だった。マリオ
ットのオープン時に海亀保護基金を立ち上げているから、もっと外国人も巻き込んで組織だて、情報を発信して多くの人を呼び込めばいいのにと思ったが、地元の人たちや興味のあるツーリストが静かに子亀を送りだしている姿を見ていると、お金だけ出して口は出さない、地元の愛情で亀を守る、それが海亀たちにとって一番いいのかもしれないという気がした。手付かずの自然、それが海亀たちに一番必要かつ大切なものに違いない。

 一匹の放流に四〇〇バーツの寄付。子亀は手のひらに乗るほどの大きさで、黒く丸い目が可愛い。ビーチに放すと海を見据えまっすぐに向かっていった。寄せては返す波に何度もひっくり返されながら元気に泳ぎだす。思えば子亀にとって生まれて初めての海。なのに、行くべきところに行く潔さ、力強さでいっぱいだ。海亀の行動範囲は相当に広く、日本に来る海亀は太平洋を横断して南米まで行くという。この子たちはどこまで行くのだろう。一一月ごろ産卵のためにマイカオに戻ってくる海亀は七、八頭だという。一頭の亀が一度に産む卵は約一〇〇個だというから、なんとも厳しい世界なのだ。

 この日の空と海はどこまでも青かった。「大きくなって戻っておいで!」祈りを込めて声をかけた。

トップページへ戻る


18話:ピピへ

   久々の飛び石連休、妹がちょっとしたデジカメを買ったのでピピ島にでも行こうということになった。
ピピに行くには飛行艇、スピードボート、高速船の方法があるが、一番お手軽な料金は高速船である。お手軽だから当然混み合う。背もたれ直角の三人掛け特製籐椅子はお世辞にも快適とはいえないが、海は鏡のように静かで、プーケットからきっかり一時間半で到着した。船着場の水さえ澄んでいて色とりどりのトロピカルフィッシュが集まっている。さすがピピだ、心が弾む。

 ピピに来るのはこれで三度目だ。八年前も二年前もほとんど変わっていなかったから今回もと思った
ら、大変身にビックリ。メインストリートでも昔ながらの木造建築に土産物店やダイビングショップが並ぶばかりだったのに、顔ぶれは同じだけどどこもまぁキレイになっちゃって、美容整形した古い友達に会ったって感じ。ルックスはいかついけど優しく親切だったラスタマンのお店はなくなり、路上でターコイスやサメの歯を使ったオリジナルアクセサリーを売る人の姿もない。そこここのアクセサリー屋はどこも同じものを売っている。
 ピピといえば映画「ザ・ビーチ」のロケ地にもなったバックパッカーの聖地であり、タンクトップにフィッシャマンズパンツが定番ルックだった。潮風にさらされた木造の建物、そこに集まる人たちはヒッピー風、ビールを飲みながら小さなテレビの前に集まって映画を楽しむ。椰子の木が風に揺れて一瞬の涼に心和ませ、ここは南の島のパラダイス…みな遠い思い出になってしまったようだ。ただ、メインストリートほぼ中央にあるピピベーカリーだけは昔のままの素顔を見せていた。といいながら手前にあるエアコンの効いたコーヒーショップでアイスコーヒーとイタリアンサンドイッチをほおばる私たち。地元の親父連中だってここでカフェローン・ブレイクを楽しんでいる。自然のままでいることと便利さ、快適さは相容れることがないのだろう。

 その夜はほぼ満月で雲もなく、椰子の木のシルエットはなんとしても記録しておきたい映像だった。
が、最新のデジカメをしても、目にする以上の写真をとることはできなかった。

トップページへ戻る


17話:星空の下のカヌーツアー

  一枚の葉がひらひらと舞って水面に落ちる。その音が響きわたる。切り立った石灰岩、そこに密生する木々、青く切り取られた空、聞こえるのは鳥のさえずりと虫の声、パドルがたてる水の音…。パンガーのホングとはそんな静寂の世界だ。

 よく晴れた日曜日、ホング・バイ・スターライトのインスペクションへ行った。午後出発なので混み合うこともなく、昼間と夜の両方のホングを見られるカヌーツアーだ。この日のコースはパナック島とホング島。パンガーには潮が適当な高さになった時だけ通れる洞窟があり、そこをカヌーで入っていく。寝そべって乗ってそれでも鼻をこするんじゃないかってところが多いが、ガイドさんたちは難なく漕いでラグーン、タイ語で部屋を意味するホングへ入っていく。プーケットに住んで三年、すっかり田舎暮らしに慣れちゃった私だが、カヌーだからこそいけるホングは原始のままの姿を残し、圧倒的な静けさと安らぎを与えてくれる。婆クサイが思わず「極楽、極楽」とうなづいちゃったゼ。

 途中、このツアーを主催するジョンさんに会った。たくさんの子供たちがツアーに参加していて、そのケアに来ていたのだ。豊かなひげを蓄え、赤銅色に日焼けし、下半身がカヌーと同化しているかのようだ。プーケットに初めてカヌーツアーを紹介したのが彼で、実際に何度も足を運んで今ある洞窟を発見し、潮の満ち干きを利用して入る方法を広めた。

 今プーケットには五〇からのカヌーツアーがあるが、厳しいエコロジストの彼は、それ故浮いた存在であるらしい。後日彼からもらったメールには「コピーするのは簡単だが真のオリジナルであることは難しい。愛ある労働であるという誇りを持って-ジョン・グレイ」と記されていた。信念を持って生きる人に出会った時の心揺さぶられる思い、ジョンさんにそれを感じる。カヌー上で挨拶をしたら、日本にも住んだことがあるよと笑って答えてくれた。

 夕暮れ時セルフ・パドルに挑戦。かなり深いところなのだが、小さなビーチまでパドった。同僚のHが必死で漕いだせいもあるが、水に対する恐怖感は不思議となかった。海を愛するスピリットが私にも伝わったのか? 帰りの船上、参加者達の目が輝いていたのは星明りのせいばかりではないのかもしれない。

トップページへ戻る


16話:Hよ、金の卵となれ!

 待ちに待ったHのワークパーミットが取れた! 弱冠二五才。選考の時に「私にないモノを彼は持っている、そこに期待する」といったらGMとOMは意味あり気にウフフと笑った。何考えとるんじゃ?

 プーケットで働く若い日本人男性というのは確かに少ない。切れ長の目をもつHはどうみても日本人そのものだと思うのだが、タイ語で話しかけられることが多いという。日本人の若者が働いているという認識がプーケットの人の中に少ないのだろう。

 しかし、彼はモテル。日本人だからかそれとも彼だからなのかはわからないが、入社のその日、彼は秘かにコボリと呼ばれた。知ってますか? コボリ。第二次世界大戦中の日本軍将校小堀とタイ人の娘アンスマリンとの悲恋を描いたタイの人気小説「メナムの残照」の主人公です。泰緬鉄道を言われるたびに肩身の狭い思いをする我ら日本人ですが、そんな時代を背景にコボリはたくましくも心優しいハンサムな日本人として描かれています。Hよ、「コボリ」のために会社のXは昼抜きダイエットをしているぞ、気付いてるか? さらに。毎日行ってる食堂のオヤジが携帯電話のメールアドレスをHに渡してきた。常連の誰かに頼まれたらしい。たった一週間ですよ、一週間! この食堂に私と仏人、英人計五名は二年間通いつめているが、そんなこと、誰も一度もあったためしがない。まぁ、みんなイイ歳いってるけど。

 ダイビングや旅行でたびたびプーケットに来ていた人がいつの間にか居着いたのを第一世代とするならば、旅行で何度か来たことがあるが、仕事を目的として来た私みたいなのは第二世代と言えるだろう。Hの場合は更に進んだ第三世代、後にも先にも今回のプーケットが初めてという人たちだ。今プーケットは建設ラッシュで、更なる大手ホテル資本の参入もあり、東南アジア屈指のリゾート地になったといえる。インターネットを主体とする我が社で、日本マーケットを担当するHと私の責任は重大だ。「異文化に触れたい」という青臭い理由(好きだけど)で入社してきたHに大いに期待したいところなのだ。

 ところでH、「金の卵」の意味わかってる? 最近言われる国語力の低下か、ジェネレーションギャップか、時々日本語が通じない私たちなのである。

トップページへ戻る


15話:タンブンとは… 

ウチには犬が3匹いる。帰国するファラン(西洋人)が捨てていった親子犬だが、娘犬のウシコ(牛模様なんです)は歩けない。一年半前交通事故にあい、獣医さんがいうには歩けるかどうかは五分五分、人が面倒を見れば生きていけるということだった。

 生きるとは食べることと排泄することだ。私はすぐに根を上げたが、妹はそれこそ雨の日も風の日も今日まで面倒を見続けている。それは図らずも、西洋とタイの考えの違いを知ることになった。ファランは声をそろえて薬殺しろという。かわいそうだから、うるさいから殺せという。しかしタイ人は、世話を続ける妹に「いいことをしている」と言う。タンブンといって、徳をつむことで人としてのステージが上がるということらしい。妹のステージはともかく、今では我が家で一番高い買い物の車イスを得て、他の犬を威嚇しながら散歩を楽しんでいる。

 毎晩の散歩で妹とウシコはヤーム(守衛)さんと仲良くなった。ナコンシータマラートの出身で熱心な仏教徒だ。多くの教本を読み、わからないことがあると寺に行ってお坊さんに尋ねるが、中には答えられない坊さんもいるらしい。動物好きの静かな人で、ウシコやその親のシロとガンコも世話になっている。そのヤームさんがいうことには、ウシコは前世で妹に借金をしていたらしい。妹にタンブンの機会を与えるために現世でまた出会ったのだとういう。だったら恩返ししろよコノヤロと思うのが私たち日本人か。とにかく最高位の人に生まれるためには八万年からのタンブンをしなくてはならないのだ。

 最初に獣医さんに連れていった時、私たちも安楽死を考えた。が、アニマルサポートの会員であり仏教徒である先生は首を縦に振らない。その後何度も逡巡し、一年たって変わらなかったら別な獣医さんに頼もうということになったが、一年を過ぎて妹は面倒を見つづけることを選んだ。私たちの両親は今年七五歳を迎えるが健在である。両親を守ってくれる大いなる存在への感謝と、ウシコが大怪我をしながら生き残った意味があるはずと私たちは思うのだ。

 ある日の夕暮れ時、妹はウシコが四本足で立って牛乳を飲むのを見たという。後にも先にもその一回だけ、今も尻を引きずるウシコなのだが……。

トップページへ戻る


14話:コンパクトアリーナ?

  というわけで、バンコクへ行ってきた。もちろん、WWE(ワールドレスリングエンタテインメント)観戦のためである。インターネットでチケット予約、タイ在住者15%オフの航空券、インスペクションがてらのバジェットホテルと、準備は万端である。

 目指すはインパクトアリーナ。バンコク郊外にある東南アジア一といわれる施設だ。日本の会場は横浜アリーナだし、WWE初来タイってこともあり、アッといわせてくれることだろう。日本は消防法だなんだとこうるさく、花火なんかチョロッとしか使えないだろうが、ここはタイ。マンペンライと派手に打ち上げるに違いない。脳幹に突き刺さるライト、重低音のロックサウンドが五臓六腑にしみわたり、興奮は最高潮へ、その中をスーパースターが大見得を切って登場。フフフと思わず笑いがこぼれる。

 私はレスナー、妹はミステリオのTシャツ各500Bなりを購入して着替え、いよいよ開場!!

 東京ドームを予想していた。が、それは小さな代々木体育館だった。リング真上に四角く一列に並ぶだけのライト。花道に通じる登場口の頭上には巨大な拳骨と大スクリーンがあるはずだが? あるのは垂れ下がる大きな黒幕。そこに薄っぺらい看板が2枚。『スマックダウンイーストツアー』と読める。

 ライトはチカチカ、音量ソコソコ、ピンスポ一本。だがしかし! TVでお馴染みのスーパースター達がそこにいた。ミステリオの華麗な技、タジリとエディの騙し勝ち、シーナは何を言ってもブーイングを受け、レスナーとビッグショーはゴング前から鼻面つきあわせてエキサイト。無け無しの小使いはたいて買ったアリーナ席は最後列だったのに、会場が小さいから驚くほどリングに近い。レスラーの身体から上がる水蒸気まで見える。友達と作ったメッセージボード(5枚)を取っかえ引っかえ振り上げ(みんな持参している)、馴染みのコールを叫び、これぞ生の魅力。それは他のみんなも同じ。前興行のマジソンスクエアガーデンに負けない熱さなのだ。

 後日、UBCで「スマックダウン・イン・バンコク」を放送。メインは水上マーケットでお買い物するトリー(一番人気女性レスラー)の映像。寺巡りするK・アングルくらい映せよ、UBC Suck!

トップページへ戻る


13話:TVマニア ラッコの憂鬱と興奮

 ザ・ロック対ハルク・ホーガン。すべてはそこから始まった。
 私はテレビ好きだ。日本に帰った時も、朝のワイドショーから昼の帯番組、午後のワイドショー、再放送ドラマ、夕方のニュースからゴールデン、深夜番組と、番組の合間に用事を済ませるといった具合。

 なのに、プーケットのテレビ事情ときたら! UBC(衛星放送)に加入すればNHKも見られるが、月々二五〇〇バーツ近くを払わねばならない。で、パトンのケーブルテレビでお茶を濁すことになる。タイテレビの他、英語はともかく、スペイン語、仏語、独語、伊語、中国語、マレー語とやたらインターナショナルすぎて私には理解不能。ビデオを楽しむ日々もデッキの故障で断たれてしまった・・・。

 が、捨てる神あれば拾う神あり。今年の一月からケーブルがUBCと契約して、いくつかのチャンネルが見られるようになった。「ダーマ&グレッグ」「アリー」などのドラマは英語で、TVチャンピオンや炎チャレ、お宝探偵団はタイ語に吹き替えられているが、スーパーが多いので楽しめる。そしてスポーツチャンネル。ここで出会ったのがWWE(ワールド・レスリング・エンタテインメント)なのだ。

 ロックはハリウッド映画にも出演するバリバリの現役。ハルク・ホーガンは数十年来のタルミがきてるが、七〇年代のギターサウンドに赤と黄色の衣装で登場、ハルクマニアと称する熱狂的ファンを持つ大スターだ。普通だったら成り立たない試合を、バックステージから試合、その結末まで奇想天外なシナリオで飽きさせることがない。実はホーガンは解雇されたが、覆面のミスターアメリカとして登場、更にファンを熱くさせている。ホーガンとその復帰を阻止するチェアマンの対決もまた呼び物なのだ。キャラクターのたったレスラーのてんこ盛り、その中でタジリやフナキも寡黙にガンパっている。お互い、英語、頑張ろうね! WWEでは、レスラーは長話もしなけりゃならんのだ。涙、笑い、お色気あり、解説者まで乱闘に参加してイヤ?拍手喝采、興奮坩堝! 眠っていたエンタテインメントの血が騒ぐ。そのWWEがこの七月、イーストツアーで来タイ(来日も)する。YOU SUCK! ヌウォリヤー!

トップページへ戻る


12話:フリーダムフライ

 イラク戦争が始まって以来、自営の妹はその影響をもろにかぶり「創業以来の危機」を迎えている。さすがに年中外食してるわけにもいかず、料理の苦手な私ら姉妹は、母が送ってくれるカレーや○○の素を総動員してつないでおります。メニューの単一化は、我慢のしどころってとこでしょうか。

 プーケットにいる多くの日本人が観光業に携わっていて、かくいう私もその一人。コンピュータを使っての仕事なので、その打撃たるや毎日即座に明確に表れます。戦争がこんなに近く、生活に響くものだとは。私がプーケットに来た二年間だけでも、貿易センタービルのテロがあり、アフガニスタンへの出兵、バリの事件と、その度にMDの「これから大変だけど、頑張ろう」みたいな喝がありました。彼がイギリス人だからなのか、それとも慣れっこになったからなのか、今回訓示はなし。開戦を知らせるインターネットニュースの画面を前に、大きなため息をついたのは私ばかりではありません。

 フレンチフライをフリーダムフライに変えるワシントンてのは、一体どういう思考回路をしているんだ、二一世紀だってのにマジかよ。そんな話題のある日のランチタイム。で、日本はどうなの? と聞かれてギクッ。つたない英語+シドロモドロで「日本、ジツノトコロ第二次大戦イライ独立シテナイ。アメリカノ核ノ傘ノ下二イル。アメリカ二従ウ首相イッテル。私カナシイ」。いつもなら勤勉な日本人とか、痛いところに手が届く日本製品の優秀さってことで鼻高々なのに、「政治は三流以下」を思い知らされるときです。フランス人の同僚は、この戦争は石油のためと言い切ります。

 ドイツのテレビニュースで、砂漠の高台にあるボロボロな建物を守る一〇数人のイラク兵が映し出されました。上だけ迷彩服とかズボンだけ軍服だとか、埃をかぶった銃をかついで、いかにも急仕立ての兵士達です。前日見たイラク投降兵士達の整然とした軍服姿とはあまりにも対照的。彼らに判断すべき情報はあるのでしょうか。無知と無垢をいいことにその場しのぎに使い捨てられているのでは。私にはそう思えて胸がつまります。戦争反対。この号が出るころに終結していることを願ってやみません。

トップページへ戻る


11話:気分はリッチ 

日本では失業率が5%を越えたとのこと。たびたび転職を繰り返していた私としては背中に寒いものを感じます。二年前、東京を引き払って「田舎に帰ってユックリ仕事」なんて思ってたのが、フタを開けてみたらとんでもない。求職者は何百人いるのに求人数は本の数件という相当にキビシイ状況。二〇代であるか特殊技術者でないかぎり、仕事はないとキッパリあきらめました。

 そんなわけで、プーケットに来るのに渡りに船で仕事が見つかったのは、かなりラッキーだったと言えます。まぁ給料の絶対額がかなり減ったのはいかんともしがたいとこですが、思ったよりユトリのある暮らしであることも確か。同業種だった友人の夫などは、いくら「東京にいたときより貯金できるよ!」といっても「いいんだよ、無理しなくて」って目で見るけど、東京時代は限りなくゼロに近かった貯蓄額が、多少なりとも上まわるんだからエライじゃないですか(といっても年に1度日本に帰ればあっという間にツユと消えちゃうんですけど)。

 タイの物価は日本の約三分の一、プーケットタウンのタイ食ランチは30バーツでOK。その分夕食に、今日は日本食、明日はイタリアン、週末はステーキだ、寿司だ、チーズフォンデュだとかなりインターナショナルに食べてます。

 ウインドーショッピングが日課だった私にとって、どこもほとんど品揃えが変わらないのは不満ですが、パトンの二つのオーシャン、ロータス、ビッグC、ロビンソン、タウンのショッピングセンター、時にはバンタオのキャナルビレッジとけっこうまめに動いてます。つい衝動買いしても、せいぜい二〇〇バーツのTシャツくらい。上等なコートは必要ないし、目移りするようなブランド品は売ってない!

 満員電車に揺られることもなく、上司が乗せてくれるBMWで出勤、通勤路で象に出会い、会社では教養も品性もあるスタッフに囲まれて精神的ストレスはほとんどなし。よくある停電で午後は仕事なしなんてこともあれば、インスペクションと称して高級ホテルに無料で泊まり、取材と称してスパトリートメントを受ける(関係者の皆様に感謝)。あとは衛星放送でNHK(聴視料1000バーツ也!)が見られるようになれば言うことなしってとこでしょうか。

トップページへ戻る


10話:結婚式出席

 自慢じゃないが、私、市販の履歴書では書ききれないほど転職を繰り返している。ゆえに新しい環境に慣れるという点では順応性があるほうではないかと思う。愛するMac(コンピュータ)がフンともスンともいわなくなるようなムシムシアツアツ高温多湿のこの地で、たいした病気もせず、辛いチリで燃えるはずの脂肪をもしこたまため込んできた。

 こうして一年八ヶ月が過ぎ、非日常が日常に変わりつつある今、しかし何か足りないものがあるような。日本にあって、プーケットにないもの。

 そんなある日、結婚式の招待状が舞い込んだ。大小様々なパーティーにもぐり込んできた私だが、自分の名前がキッチリ書かれた招待状をもらったのはプーケットでこれが初めて。冠婚葬祭に出席してこそ社会の一員、足りないのはこれだったんですね。

 披露宴はカロンのホテルで二〇〇人からの招待者という盛大なもの。花嫁は「タイ式だからTシャツで来て」というけど、やっぱ日本人としては、ご両親も日本からいらっしゃるわけだし、一応パーティー仕様のスカートにありったけのアクセサリーをつけて出席。周りをみわたせば確かにジーンズ、Tシャツの人もいるけど、バッチリヘアメイクにカクテルドレスという人もいるわけで、一応は対面を保てたか? ちなみにプーケットのウエディングドレスは七号だけとか。花嫁のダイエット成功に乾杯!

 広いバンケットルームは結婚式らしく、ナプキンやテーブルの花、ウエイターの衣装など、ピンクピンクピンク。新郎新婦が立つステージには大きなハートがかたどられ、その前には二メートルはあろうかという立派な氷の彫刻! あまりに立派でどのテーブルからも新婚カップルが見えないくらいだ。

 MCは某ホテルのエンタテインメント・マネージャーで、タイ語、英語、日本語を一人駆使しての司会。さすがプーケット、多国籍対応型です。式はオープンな雰囲気で始まり、セレモニーが終わると三々五々帰っていくというタイスタイル。気付けば残っているのは日本人と新郎の親戚ばかり。プーケットでは手に入らないサッポロビール、新婦のご両親直輸入!に、日本人いたく感激、おおいに感謝。遠慮なく祝杯を仰いだのでありました。

トップページへ戻る


9話:2年目のスタッフパーティー

  久しぶりの青空にホッとするのも束の間、あれよという間に重い雲が垂れ込めて、大地をたたき割るかのような雨が降り始める。人も犬もヤシの木も肩を寄せ合って、ただやむのをジッと待つばかり。洗濯物は乾かないし、この季節的な不景気はしようがないやねとやリ過ごす。それがプーケットの雨季。

 そんなジメジメジトジトを吹き飛ばすのが「スタッフパーティー」!。日本ならさしずめ社員旅行でしょうが、プーケットではパーティーどまり。それも一ヶ月前からいつにするか、何をするか社員全員でミーティングまでする気の入れようです。

 今年は九月末の金曜日の夜、食事とボーリング大会&ラッキードロー。パーティーが近づくにつれ、クライアントからいただいた豪華賞品や粗品(失礼!)がぞくぞくと集まってきます。扇風機やらミキサー、ドライヤーなどの家電製品、ワインもかなりあり、ロゴ入りTシャツ、バッグなど。今年の目玉はクアラルンプール往復航空券二人分宿泊付き!ビザトリップにショッピングに超ウレシイ一品です。バンコク往復航空券と高級ホテル宿泊二泊三日の旅というのも魅力。バンコクには日本のものがなんでもありますからね。伊勢丹でタイ焼き買って、紀伊国屋で思いきり立ち読みするというのが私のささやかな願いであったりするわけです。

 ボーリング大会は四人一組の団体戦で、優勝チームにはMDから賞金が出るってんで、それはもう燃えますわな。トイレなんかで探りを入れるわけです、ハイスコアは? なんて。マイボールを持っているSは自慢を必死に押さえているのでありましょう、鼻をひくつかせながら「随分前のことだけど」と前置きし、二六〇とのたまった。ムム、上司や同僚と毎週土曜日に練習に明け暮れた私ですがこれはちと分が悪いって、私のアベレージは九〇ですからネ、お話にならないか。

 そして当日。ラッキードローは一人三回。私があてたのは扇風機とタイスキ用電気鍋、それにキャッシュ千バーツと、現実とはこんなもん。でもボーリングは助っ人のおかげか見事優勝!賞金でいただいたなか平の寿司食べ放題三〇〇バーツに大満足。そろそろハイシーズンの足音も聞こえてきたようです。

トップページへ戻る


8話:運転免許は超簡単!?

  「モノの十分」「ちょこっと走ってみせるだけ」「どーせ誰もみちゃいない」。
 私、普通自動車の免許をもつこといく久しく、ゴールド免許をもつ身でございます。国際免許が切れたのを機にバイク免許をとることになり、誰からとなく聞いたのが頭書の言葉であります。マイペンライの国ですからね、きっとそのとおりなんでしょう。

 パスポート&ワークパーミットのコピーと健康診断書、写真二枚を持って朝九時半までに陸運局で申請します。が、いきなり不受理! ワークパーミット更新中で原本がなかった私は、イミグレーションで在留証明をとってこいと、モノの十分でアウト!先制パンチに開いた口がふさがらないまま行ったイミグレで、ペランと一枚、年齢で判断したのか、勝手にミセスで作成された証明書が五百バーツ。

 ザケンナって気持ちを抑えつつ、翌日再申請。十時から講習、昼食後に筆記試験、合格者は実地試験へと進みます。何十年この仕事やってるわい的教官によるタイ語での講習が二時間。外国人には事前に英語のテキストが渡されます。しかし、読むに夢中で実地試験の説明にさえ気づかなかったのが運の尽き。○×と三択方式の筆記試験は、もちろんクリア。その後、陸運局にあるテストコースで実地試験です。

 思えば講習中さんざんビデオでやってたよなぁ。変だと思ったんだよ、サークルをわざわざ一周してから左折したり、単なる右カーブで右折の手信号だしたり。普通じゃないわけですよ、テストですから。 で、タイ語全くわからんちんの私は釈然としないまま、交通マナー最低のプーケット住民の諸君に運転の何たるかを見せてやると、思えば高飛車に臨んだのも一因か、一時停止無視。くたびれオヤジ的教官は鬼気迫る試験管に変わっており「ストーップ!」と一声、即刻退場。

 同じ憂き目に遭った女性が「明日来る?それとも払う?」と聞いてきました。免許が買えるらしいけど、誇りってもんがあるでしょう。翌日再トライしましたとも。再試験は実地試験のみ。完璧に済ませてドーダ! と合否をまつや、係の女性が「タムレーオ(もうやっちゃったの)?」と笑ってそれで合格。確かにモノの十分、誰も見ちゃいやしません。

トップページへ戻る


7話:Korea Japan 2002

 二人のフランス人男がいる。四年前、テレビでW杯決勝後の興奮にわくスタジアムを見て「で、どっちが勝ったの?」とうそぶいた男達である。今回も開幕戦の仏対セネガルを尻目に映画を見に行くような男、それが我がボス。その彼らが、六月一日の午前、プーケットによくある停電を境に、変わった。

 「w杯ロッタリー!」。いい出しっぺは、ふだん黙々とプログラミングするイギリス男S。きのうまでw杯のワの字、サッカーのサの字もなかったのに、しょせん彼もサッカー好きなイギリス男だった。

 そのSが停電中のスモーキングタイムに仏女L(熱血スポーツ好き)に持ちかけたのが始まり。それをきいた私がどうしてのらずにいられましょう。ドーハの悲劇以来、日本代表とともに歩んできた私です。休暇をとって観戦のため日本へ帰る私です、チケットないけど。

 さっそく参加三二国をプリントアウトし、一国一〇〇バーツでクジ引きが始まった(違法だって? アジア初のW杯ですからね、マイペンライ!)。クジには国名が書かれていて、引いたその国が優勝したら掛け金をゲットできるという簡単なもの。そのかわり、ヒイキも予想も関係なく、あるのは運のみ。ホ〜レ買った買ったと声をかけると、一〇〇バーツ片手にスタッフがワサワサ集まってきた。まぁ、どのチームにも可能性はあるわけですが、引いた瞬間に「一〇〇バーツ損した」って思うような人たちが多いのも確か。ちなみにボスは、サウジアラビア、米国と引いて「もう一回、もう一回」と往生際が悪い。三回目にフランスを引いてとりあえず納得(したのかな?)。もう一人の先出仏男Sが引いたのはドイツとイタリア。目を輝かせ鼻息を荒げる彼を見るのはサッカーファンとして嬉しいかぎりです。

 MDのNはさすがに強運、屈指の優勝候補アルゼンチンを引き当て「してやったり」。人気のイングランドを引いたのは穏やかに微笑むタイ男T。なんと彼のシャツの胸にはENGLANDの文字が。静かに燃えていたのね、Tってば。ちなみに私はスペイン、スウェーデン、そして日本!

 観戦用のテレビ購入も即決、サッカーは世界言語を実感した一日でありました。

トップページへ戻る


6話:コサムイにトロピカル出張だ!

 プーケットに来て早一年。これからはタイトルどおりアグレッシブに働くぞ! と気合いを入れていたら「コサムイのホテルを見て来い」との出張命令。「ラッキー! 初めてのコサムイだ」「いや仕事は別」と気持ちが揺れること約四〇分、プロペラ機はコサムイ空港に到着しました。

 ヤシの木より高い建物は禁じられているとのことで、空港も木造。気さくなタイレストランとたいして変わらない様相です。バッゲージクレームも看板がぶらさっがってるだけだし。「やっぱラッキー!トロピカル満点!」とはしゃぎながら夕食を済ませ、ホテルに戻って予定を立てながら唸ったね。我社と契約のあるホテルは約四〇。滞在期間は三日、一日一三軒から回る計算です。

 なんとかなるだろと思う私はたかだか在プーケット一年のヒヨッコでした。サムイは雨季があけたばかりとはいえ、やはり南国タイ。チャウエンビーチは歩いてまわろう、というのが先制パンチでしたね。最近また増えた脂肪を燃焼させるのだといくら自分にいいきかせても、へっこんだのは目ぐらいでしょうか。夜には初日なのに「あと二日頑張れば帰れる!」とハネムーナー用の部屋で自分を励ます私は一人きり。

 毎日のメールチェックも欠かせないため、プーケットではほとんど役に立たない我がマックをホテルのご好意で事務所に持ちこみ、電話線まで借りてねばること三時間、午前の部はこれで終了。午後は言うまでもなくホテルのインスペクションです。

 三日目、四日目は同行の上司の運転でラマイビーチからタリンガム〜チョンモンビーチ〜ビッグブッダ〜ボプット〜メナムビーチとほぼ回りきりました。最後はもう「ブローシャーくらさい」というのがやっとだったけど、やっぱ百聞は一見にしかず。ラマイのあるホテルはGMみずから案内してくれるという気安さで、リピーターが多いのもうなずけます。

 最終日、搭乗時間二時間前に、ダメ押しのインスペクション二軒終了。スパでいただいたポプリの小さな袋がなぜか心にしみたのでした。 

トップページへ戻る


5話:2002年へGO!

 今プーケットはハイシーズンを迎え、まさにかき入れ時。その割に一二月は祝祭日が多く、サラリーマンにとっては嬉しい月でありました。

 「そんなノン気なこといってんのはオマエだけ!」と突っ込まれそうですが、五日は王様の誕生日、一〇日は憲法記念日、二五日はクリスマス、そしてお正月と続きます。

 ヨーロッパ出身者も多い我がオフィスでは、二四日、いつもよりちょっと早めに仕事を切り上げ、スタッフを集めてボスの挨拶。

 「今年は大変だったけど、みんなよく頑張ってくれた。来年もヨロシクな!」みたいなのがあって、一人ずつ封筒が手渡されたのであります。手応え的にはクリスマスカードとナニカ。六二ミリ×一七三ミリくらいのシワシワっとした感じ。

 さすがにその場であけられず、あとでコッソリトイレでチェック。「サンキューフォーユア・スモールマインド」。名実ともにれっきとした寸志でありました。

 その後、シャロンにあるガンエンシーフードへ。リーズナブルな値段と美味いシーフードで有名なレストラン。久しぶりにロブスターだ、オイスターだと盛り上がったのも束の間、ホーモック(カレー味の魚のすり身)やヤムウンセン(春雨のサラダ)とか、かなり気さくなメニュー。

 いや、水入らずでいただいたクリスマスディナーは美味し楽し。ボスの心使いに感謝してます。
 そして私にとってプーケット初の年越し。なんとお刺身と年越しソバを食べました。持つべきは友です。またまた感謝。

 その後、カウントダウンはソイバングラ近くの友人のオフィスへ。外にタイ料理を並べてスタッフや家族、友人が集まり、飲んで食べてパトンの各ホテルが華やかに打ちあげる花火を見あげながら二00二年を迎えたのでありました。

 「I come to win」と始まったのに、ノホホンとサラリーマン生活やっちゃったなと自戒しつつ、タイトルをかえるべきか、生活態度を改めるべきか。

 一大変革のつもりでプーケットへ来たのに、人間、どこに行っても変わんないもんです。

トップページへ戻る
 


4話:嬉し恐ろしキンジェ体験!

 ツーリストへの情報提供も私の仕事の一つだ。そこで上司から命令が出た。「キンジェの写真を撮ってきて」。英語でベジタリアン・フェスティバル。年に一度菜食を通すお祭りだ。というと穏やかな祭とお思いでしょうが、プーケットのそれはまさに奇祭。

 八年前初めてプーケットに来た時、観光中の寺で写真を見て唖然。一メートルは優にある金属棒を顔に突き刺し、その先にパイナップルをつけてパレードしてるんだから。それを撮影しろというワーカホリックの上司は休暇中。

 が、私と同僚のLは朝五時起きしてプーケットタウンの寺へ。パレード前から撮ろうと張り切った。くしくもそこは写真をみた寺。白装束の人達が集まり始め、狭い境内に線香の煙が立ちこめている。菜食で身を清めた信徒に神様が降り始めた模様。

 人垣ができ儀式が始まっている。時々大きな高笑いが聞こえる。幸か不幸か人と木の陰でよく見えない。とホッとしたのも束の間、私とLの隣にいた六〇歳くらいのおじさんに神様が降りてしまった。彼は白装束から赤地に金糸で刺繍したおかけのようなものに着替えさせられ、九人の神様の顔が各々についた三〇センチほどの金属棒を頬に突き刺し始めた・・・。

 同行のイギリス人男性(柔道有段者)はホワイト・アズ・ハンカチーフ状態。なんとLは三〇〇ミリのズームレンズで激写しまくっていた。強いぞ、フランス女! イケイケ日本女! といいたいとこですが、日本女はデジカメのモニター覗くのが精一杯でした。ホント。

 しかしキンジェはパレードがすべてではありません。一年に一度菜食で通すという体に優しいお祭りでもあります。

 同僚とタウンの真ん中までいって食べたランチは超美味。野菜炒めや煮物系が多いのは当然ながら、どう見ても食べてもソーセージなのに野菜でできてるってのはエライ!

 意外やユバを使ったものが多く、小豆や芋類などのサラパオはアン饅そのもの。懐かしい味にこちらは日本女の独壇場。ラッコの笑い声が高らかに響くのでありました。

トップページへ戻る
 


3話:いよいよ初出勤

 というわけで、二回目のビザトリップは、なんとしてもマルチプルをとるべく日本へ。念を入れて提出書類のチェックをし、出国予定日よりだいぶ早めに大使館へ行くという心構えがよかったのか、念願の一年間ビザをゲットしました! おいしいものをたらふく食べて、友だちに会いまくり、テレビを見たおして、大満足で帰ってきたその日、五歳になるオス猫が死んでしまいました。不細工だけど気持ちの可愛いヤツだったのに。かくも短き滞在はかくも長き不在だったのかと涙。

 日本の余韻も吹っ飛んでボーッとしていた朝、ワークパーミットがおりたという連絡が入りました。思えばプーケットに来てすでに五ヵ月。「とうとうきたか」ってのが本音です。毎日九時からプーケットタウンのオフィスに詰めて働くってことですからね。これまでみたいに疲れたからゴロン、お腹空いたからムシャ、眠いからグーってわけにはいかないんすから。

 さっそく人事マネージャーに会いに行ったら、出社はいつからでもいいと。「では一年先」とはさすがに言えず、八月と九月は私にとって空亡の月(占いで、新しいことを始めてはいけないらしい)なので、七月末の月曜日からということにしました。

 当日、ピキピキに緊張してオフィスへ。スタッフ全員を一人ずつ紹介してもらったのですが、なんとしても名前が覚えられない! 二音の人が多いのに、これがわかんないんですね。発音も結構むずかしいし、「チャン プー パーサータイ マイダイ(私はタイ語が話せません)」だけ言えればいいやなんて思っていた自分の志の低さがハズカチイ。かたや「お昼を食べに行きましょう」なんて日本語で誘ってくれちゃうタイ人スタッフ達。大学で日本語を勉強したらしいです。英語もちゃんとしてるしな・・・

 なにからなにまでお世話になりっぱなしで、「I come to win」なんて、どのツラさげていうのかね?  早くご飯食べながらバカ話ができるようになりたいって、これまた低すぎる志に、大丈夫なのでしょうか、私。

トップページへ戻る



2話:ラッコ4ヶ月にして帰国?!

 「どんな状況の試合でも勝つためにプレーする」。某スポーツ紙が伝える中田選手の信条である。し烈なポジション争いを繰り広げるセリエAにおいて、唯一の障害だった外国人枠が撤廃され、天才には時代さえも味方をするのだ。

 な〜んて、私なんか外国人枠内のはずなのに、いまだワークパーミットおりてません! おまけに二度目のビザトリップの日が迫ってまいりました!

 ツアーエージェントの友だちによれば、近くて便利なのはやはりマレーシアで、ペナン、コタバルがポピュラー。ペナンはマルチプルビザがとれる可能性があるけど、火曜出発の四日コースか日曜出発の三日コースの二者択一。コタバルへは飛行機とバスのどちらでもツアーがあるのでお手軽だけど、ダブルエントリーまでしかとれない。ちなみにコタバルの領事館は金、土曜日がお休み、その他マレーシアにはカレンダーにない休日があるので要注意とのこと。

 私の場合、ペナンは前回もあって心証悪いいしスケジュールも合わない。「お買い物がてらシンガポール」となると飛行機代がかなりかかる上、(タイシカンが)キツクてカンジ悪いらしく、行く人はほとんどいないそうです。プチバカンスを兼ねて香港とかベトナム、マルチプルビザがとれるオーストラリアなんかもステキ! 

 でも、それならいっそのこと日本へ! 我が国日本なら、会社のレターヘッドにリコメンデーションと日本の保証人に英語で一筆書いてもらえば(余程のことがない限り)マルチプルがとれるようです(バンザ〜イ)。「どんな状況下でもプレーすることを忘れない」って、私のは遊びの方ですが。ワークパーミットの審査結果が出るのは、出国期限の前日。認可されたら出勤となるだろうから、そしたら日本への夢は消える。日本をとるかコタバルへ行くか、これって中田選手の日本代表をとるかローマに帰るかに似てる?×●△■(失礼しました。テレビで日本代表の試合を観れたのが嬉しくてついはしゃいでしまいました)。

トップページへ戻る


1話:イペット(辛くしないで)とはいかないようで

 「勝つために来た」。ウインブルドンに臨むプロテニス選手が、空港でのインタビューで発した言葉。人生半ばを過ぎて外国で働こうと決心、第2の人生をプロデュースすべく掲げたスローガンである。

 な〜んて、実はハッタリ。先が見えちゃってブーたれてたら在島一〇年の妹に「来れば」と誘われ、反対するはずの両親から大いに励まされ、タイミングよく求人があって、流れるままにきちゃったってのが事実。

 が、しかし。タイには甘すぎるコーヒーがあれば、しびれるほど辛いカレーもある。「マイペット(辛くしないで)」とはいかないようで。まずは、いきなりワークパーミットをとるのが難しくなった! 山のような会社の書類が必要な上、登記所、税務署、イミグレーションオフィス、観光局、職安をオンライン化してかなりタイトにやるらしい。

 それからビザ。昔は会社からの推薦状を持って代行業者に頼めばダブル(6ヵ月有効)やトリプル(9ヵ月有効)をとるのも簡単だったようだがもはや夢。「ワークパーミットをとるべし」パスポートにスタンプされた文字と3ヶ月の最短シングルビザが悲しい?。

 買い物好きなのにモノは少ない。自称エコロジストは蟻の大群を蹴散らし、防音一切なし終日営業のカラオケ屋に文句も言えず、度重なる停電、温水シャワーは漏電と、辛い辛い! ただ、大雨で濁流と化した道を行くトラックの荷台でビショぬれになっている人たちをみてたら、「マイペンライ」の深さをみたような気もします。

「I COME TO WIN」。ハッタリ+タフネスでサバイバルするど!

★現在、とくにプーケットでの外国人の就労はとても厳しくなっています。就労ビザ(ノンイミグラントB)の取得からワークパーミットの取得にはかなりの時間と手続きが必要。会社設立に関しても同様で、新規の設立には厳しい規定ができました。

トップページへ戻る



Phuket Walk
38/35 Vichitsongkram Rd. Kathu Phuket 83120 Thailand
Tel/Fax +66 (0)76 322-162

お問い合わせ: こちらをクリックしてください。

Copyright : ©1998-2008 BE-ABLE CO., LTD.

Last updated
Web design by Andaman Graphics

back to top

プーケットのホテル・レストランン・スパ・交通情報など役立つ情報満載!在住日本人の声がベースです!